2011/08/19

SPREAD WORDS

先週末のSPREAD 2011 SUMME RPM無事終了しました^^

SACHIHO女史のたおやかなハウスグルーヴも信念の強さを感じましたし、なによりタカヤのセットが素晴らしかった!また今回も今まで聞いた事ないカンジで、ここまでくるともう末恐ろしささえ感じますね。彼は今週土曜に浜松、そして23日には仙台でもプレイするので、お近くの方は是非!

さて先日掲載して各地で好評を頂いたウッドストックレポの後編です。詳細は現在の野外パーティーとあまり変わらない気がしますが、やはりそれが40万人のそれと想像するとちょっとものスゴすぎますね。 しかも40年前ですからね。そもそも今の野外パーティーの礎となったウッドストック。映画も是非見てみてください。


では!






1969年10月号
ぼくも40万人のひとりだった
ウッドストック音楽祭に参加して

成毛滋



そんな調子ですからこれはもう音楽会というよりは、ほんとうにもうお祭りなんです。バカ騒ぎですね。
集まった連中は大体十五、六から二十二くらいの年齢かな。みんなヒゲはやしたり髪を長く伸ばしたりしてるから歳なんかわかんない。
黒人もいましたけどニューヨークなんかと違って差別とか偏見とはか全然ないです。
みんなすごく親しくなっちゃって、パンでも水でもなくなると隣にいる人が分けてくれます。頼まなくてもボクの瓶が空になってるのを見ると、水をやろうかといって自分のを半分くれるんです。もちろん全然知らない人です。ただ隣に座ってるというだけで。。。一口かじったパンを回してまた一口食べると隣の人に回したり、水も回し飲みしたり。。。。そういうのは黒人でも日本人でもまったく同じです。大きな瓶に入った水を知らない人で回し飲みするのは気持ちよくないですけど彼らはみんな平気ですね。


予想を遥かに超えてすごく大勢の人が集まっちゃったもんだから、パンなんかたちまち売り切れです。それでヘリコプターで何度もホットドッグを運んでました。ホットドッグを売り始めるとすぐに長い行列ができる。なにしろ食いもんはホットドッグとコーラくらいしかないんですから。。。それで行列してさんざん待たされて結局売り切れて買えなかったりするんですが、別に文句も言いませんね。行列作って二時間でも三時間も待つのなんかみんな平気です。


それからトイレですけど、組み立て式みたいな公衆便所を大きなトラックで運んで来るんです。地面に穴を掘ってその上に小屋を乗っけるような式の。。。それが汚くなるとつぶしちゃってまた新しいのをもってきます。そのトラックの上に乗せた便所の上にも大勢のヒッピーが乗っかって来ちゃうんです。


医者なんかも全部タダです。
ずっと後ろのほうでトラックの上の屋根に乗って双眼鏡で見ていた人が、雨で足がすべって落っこちてケガをした。その人はドロンコで血まみれになって医者のところへ行って、ドロンコで血まみれのまま包帯を巻いてもらって、タダでやってもらったって大喜びで帰っていきましたよ。
なにしろパトカーの屋根まで見物人が乗っちゃってるんだから。。。。
テントや寝袋を持って来てる人はまだいいけど、何も持たない人は地べたにそのまま寝ちゃったりする。車があると誰の車だろうがお構いなしにその下にもぐりこんで寝てます。


LSDなんてずいぶんやってましたね。
警察も手に負えなくなって、もうほったらかしにしてました。「死んだって知らねぇぞ」なんちゃってね。もう公然とハシシやLSDを売ってる人がいるんです。ハシシが5ドル。でもハシシもマリファナもニセモノが多く吸っても全然効かない、なんて言ってる人もいました。マリファナをタダでやろうという人もいたけど、雨で濡れたからダメかもしれないよなんて言うからもらわなかった。ニセモノを吸って死んだ人もいるとかいうハナシでヤバくってね。
それから大抵の人が男の子と女の子でカップルになっちゃってた。ぼくんとこに来た女の子もいたけど、なにしろヒッピーの女なんて一週間も風呂に入ってないから、臭くてかなわないんで逃げ出しました。





フェスティバルが開かれたウッドストックというのがどんなところかもう少しお話しましょう。
会場に使われたのは、人里離れた牧場だか農場だかとにかくすごい田舎です。そばに牛もいました。夜になるとデッカい蚊がどんどん飛んできます。水を汲もうと思ったら、山を二つ越えたところにある農家までもらいに行かなきゃならないんです。


夜は冷えるのでみんな火を燃やして当たってます。寝袋を持ってるのはよっぽど用意のいい奴で、地べたにボール紙などを敷いてその上に寝てる人のほうが多かったですね。
でも会場に入れた40万の人はいいほうかもしれません。遅く来た人は会場に入れなくて、道がギッシリつまったために引き返す事も不可能だし、とうとう道路にテントを張ってそこで三日三晩暮らしてそのまま帰っちゃった人もたくさんいるわけです。来た人の3分の2入れなかったというくらいで、結局ハイウェイに80万人の人が三日間立往生したってことですね。
そんなぐあいで、まったく交通がストップしてしまったので、出演者も楽器やアンプや食糧なんかもみんなヘリコプターで運んだ訳です。とにかく道路の上はずっと人、人、人。。。という状態です。


そうそう、その道路で赤ん坊が生まれたそうですね。会場の中でもひとり。合計二人生まれたらしいです。それから死者も二人。プラスマイナスゼロというわけ。


3日のフェスティバルが終わっても交通がそんなんだからなかなか帰れない。大勢の人があと何日かとじこめられたままになったらしいですけど、だいたいすぐ帰ろうなんて気もないんですよ。中にはここは気に入ったからあと一週間ぐらい住んでようなんて言ってるのもいましたから。泥んこのままでね。


でもとにかくみんな音楽のすごく好きな連中ばかりです。ギターも持って来てる奴も多く、ステージがやってない間は自分達でブルースなんか弾いてました。


ステージで音楽をやってるときはみんなとても熱心に聞いてます。一曲終わるとすごい拍手なんです。ステージの上で出演者が何か話してると、遥か後ろのほうまでみんなでステージと受け答えなんかしてます。音楽が鳴りだすとみんなリズムに乗っちゃって、体を細かく動かしてるんですね。
とにかく40万人が全員乗っちゃってユサユサと動いてるって感じ。そりゃすごいもんですよ。