先日音楽評論家の中村とうよう氏が亡くなりました。
お住まいが立川だったということで感慨深いのですが、先日彼が手がけていたMUSIC MAGAZINEのスペシャルエディション1を入手しました。これは1969〜1974年までのMUSIC MAGAZINEN掲載された記事をまとめたものなのですが、その巻頭があのウッドストックのおそらく日本人で唯一体験した成毛滋氏によるレポートでした。
とても興味深い内容だったので紹介します。
1969年10月号
ぼくも40万人のひとりだった
ウッドストック音楽祭に参加して
成毛滋
ウッドストックというのはニューヨーク州のベースルという街にあって、ニューヨーク市からハドソン河ぞいに北に約九十マイルの距離です。
はじめサンフランシスコでチラシを見てぜひ行きたいと思ったんですが、交通機関が何もないというのでどうしようかと思いました。その後、ロスでもニューヨークでも、至る所にチラシが置いてあったり、ビラが貼ってあるのが目に入るし、ラジオでも毎日のようにスポットを流してすごい宣伝なんです。
ニューヨークで会った若い連中は、みんなオレも行く、オレも行くって言ってる。こりゃすごいらしいぞってことが、だんだんわかってきました。
結局、ヒッチハイクでしか手がないわけです。ぼくもウッドストックに行くのはどうやって行っていいのか、いろんな人に聞いて回ってたら、たまたまある洋服屋のオジサンが、オレも行くから手伝うんなら一緒に連れてってやるというのを見つけて、アルバイトをかねて行く事にしたんです。
そのオジサンは、夜は僕たちと一緒にそのトラックの下に、地べたにボール紙を敷いて毛布をかぶって野宿です。ほんとにそのオジサンも楽しんじゃってるんです。なにしろ寝る所なんて全然ないんですからね。
その会場に着くまでの道も大変です。ニューヨークから三時間半ぐらいのところなんですが、道が混んでノロノロ運転。「ウッドストックに行こう」なんて横腹に描いた車いっぱいいて、それでもイライラしてケンカするどころかみんなすぐ仲良くなっちゃって、Vサインを出し合って、中には横に止まってる車の窓から手を伸ばしてジュースなんかくれた人もいましたよ。
Vサインですか?あの人差し指と中指を立てるやつですね。もともと「ビクトリー」(勝利)の意味ですけど、いまはヒッピーたちの連帯の意思表示に使われていて、知らない人同士、道ですれ違ってもVサインを見せ合えば親密になれるわけです。音楽会でもお客さんと演奏者がVサインを出し合ってます。
ぼくたちが出発したのが音楽会の始まる前日、つまり十四日の木曜日の夜。七時か八時ごろだったかな。その晩会場の少し手のバンガローのある所まで着いて、そこで一泊しました。そして十五日の朝、会場に向かったんですが、たった三マイルのところを一時間以上かかりました。
会場に集まってくるヒッピー達はほとんどが歩いてくるんです。ハダシでヨレヨレになって。毛布とか荷物なんかかついだりしてね。車が来ると、その上に何十人も乗っかって屋根の上まであがっちゃって、ヒッチハイクっていってもすごいんですね。
会場のすぐそばまで来ると、水溜まりがあるんです。池とか湖っていうよりも泥沼ですね。ヒッピーたちは何マイルも汗みどろになって歩いて来るもんだから、沼まで来ると、「ワンダフル!」ってんで服なんか着たまま飛び込んじゃうんです。しばらく泳いでからまた出てきて、ズブ濡れのまんま歩き出す。全裸で沼に入った人もいました。
何しろ昼間はすごく暑いんです。
そこを過ぎてちょっと行くと会場なんですけど、入り口は車でいっぱい。入れません。係の人が整理してるけどとてもさばききれなくて、ほとんどの人が払わずに入っちゃった。入場料は一人一日七ドルなんですけどね。
一応柵がありますけどみんな乗り越えて入っちゃう。主催者側ももうサジを投げたかっこうです。なにしろ始めの予定ではせいぜい五〜六万人程度だろうと思っていたのに、一日目だけで二十五万人も来ちゃったんだから。。。
そこから中に入ると、もうひとつの国みたいな感じですね。
僕たちは十五日のお昼頃に会場に入ったんですが、もういっぱいの人です。ステージをまだ作ってるうちからそのまわりを取り巻いてるんです。ステージが見えるようなところまでは全然近寄れそうにないんで、会場の脇で店を広げました。僕たちの洋服屋のほかに、ホットドッグ屋、コカコーラ屋、アイスクリーム屋、アクセサリーとか指輪、ペンダントなんかの店、いろいろ出てました。洋服はよく売れましたね。何でも二ドルの大バーゲンセールですからね。
十五日は四時ごろから始まったんですが、ステージは全然見えません。スピーカーがそこらじゅうにあるので音はよく聞こえましたけど。。。
この日の出演者は、ジョーンバエズ、アーロガスリー、ティムハーディン、リッチーへヴンスなど、フォーク系が多かった。夕方六時ごろだったか、ラヴィシャンカールのシタールの演奏の途中で雨が降りだしましてね。すごいドシャ振りなんです。もちろん雨宿りするところなんで全然ないんですけどみんな平気でそのまま濡れてます。シャンカールは途中でやめちゃうんじゃないかと思ったけどすごく乗っちゃって、やっぱりビショ濡れになったままで延々と弾きつづけましたよ。
演奏は午後四時から午前四時まで十二時間ぶっつづけです。雨のほうも朝まで降り続けました。下が赤土だもんでそれが泥んこになっちゃってすごいんです。みんなそこに座り込んだまま平気ですね。そのときはいてたズボンが泥んこになって選択しても落ちないんです。
夜はステージだけすごいスポットライトで照らしてました。あとはもちろん電灯なんかありません。まっ暗です。懐中電灯かマッチの火ぐらいですかね。でもどういうわけだか、同じ懐中電灯をみんな持ってましたよ。そしてステージのほうで、何か言いながら懐中電灯を上にあげたりするとみんな上にあげるんです。
二日目の十六日、土曜日は午後一時からで、ジャニスジョプリン、ジェファーソンエアプレイン、キャンドヒート、クリーデンスクリアウォーターリバイバル、マウンテン、サンターナ、ザ・フーなど。そして最終日の十七日、日曜日は、ジェフベックグループ、ブラッドスウェットアンドティアーズ、クロスビースティルスアンドナッシュ、テンイヤーズアフター、ジョニーウインター、ザ・バンド、ジミヘンドリクスなんかがプログラムにあがってました。
実はぼくは日本に帰る飛行機の関係があってゆっくりしてられなかったんです。というのはあんまり大勢の人が次から次へと会場につめかけるんで、警察が道路を封鎖しちゃうっていう話を聞いたんですよね。そうなるといつここから出られるかわからなくなってしまう。そうなると困るんで十六日の午後、ニューヨークの方へ帰る車があるということなのでそれに便乗して、そのうえ六マイルも歩いてやっと帰れたんです。三日目をすごく楽しみにしてたのにほんとに残念だったんですけど、そういうわけで二日目の途中までしか聞けませんでした。
帰る時ステージのそばを通ったら、クリーデンスらしいのがやってました。
出演予定者は大体予定どおり出たらしいんですが、ジミヘンが出たという話は聞きませんでしたよ。
ステージのわきを通ったとき見たら、ステージの上にもすごくスピーカーが並んでた。それから関係なさそうなのが、ステージの上をウロチョロしてたり。。。ステージのすぐ横に全裸の男がひとり、前を向いてボサーっと立っていてまる見えなんだけど、みんな全然気にしてなかったな。男も女も、すっ裸の人はかなりいたけどみんな平気ですね。