Mr Takaya Nagase @ ハイタイラヴォ on Aug 20,2011
2011/08/19
SPREAD WORDS
先週末のSPREAD 2011 SUMME RPM無事終了しました^^
SACHIHO女史のたおやかなハウスグルーヴも信念の強さを感じましたし、なによりタカヤのセットが素晴らしかった!また今回も今まで聞いた事ないカンジで、ここまでくるともう末恐ろしささえ感じますね。彼は今週土曜に浜松、そして23日には仙台でもプレイするので、お近くの方は是非!
さて先日掲載して各地で好評を頂いたウッドストックレポの後編です。詳細は現在の野外パーティーとあまり変わらない気がしますが、やはりそれが40万人のそれと想像するとちょっとものスゴすぎますね。 しかも40年前ですからね。そもそも今の野外パーティーの礎となったウッドストック。映画も是非見てみてください。
では!
そんな調子ですからこれはもう音楽会というよりは、ほんとうにもうお祭りなんです。バカ騒ぎですね。
集まった連中は大体十五、六から二十二くらいの年齢かな。みんなヒゲはやしたり髪を長く伸ばしたりしてるから歳なんかわかんない。
黒人もいましたけどニューヨークなんかと違って差別とか偏見とはか全然ないです。
みんなすごく親しくなっちゃって、パンでも水でもなくなると隣にいる人が分けてくれます。頼まなくてもボクの瓶が空になってるのを見ると、水をやろうかといって自分のを半分くれるんです。もちろん全然知らない人です。ただ隣に座ってるというだけで。。。一口かじったパンを回してまた一口食べると隣の人に回したり、水も回し飲みしたり。。。。そういうのは黒人でも日本人でもまったく同じです。大きな瓶に入った水を知らない人で回し飲みするのは気持ちよくないですけど彼らはみんな平気ですね。
予想を遥かに超えてすごく大勢の人が集まっちゃったもんだから、パンなんかたちまち売り切れです。それでヘリコプターで何度もホットドッグを運んでました。ホットドッグを売り始めるとすぐに長い行列ができる。なにしろ食いもんはホットドッグとコーラくらいしかないんですから。。。それで行列してさんざん待たされて結局売り切れて買えなかったりするんですが、別に文句も言いませんね。行列作って二時間でも三時間も待つのなんかみんな平気です。
それからトイレですけど、組み立て式みたいな公衆便所を大きなトラックで運んで来るんです。地面に穴を掘ってその上に小屋を乗っけるような式の。。。それが汚くなるとつぶしちゃってまた新しいのをもってきます。そのトラックの上に乗せた便所の上にも大勢のヒッピーが乗っかって来ちゃうんです。
医者なんかも全部タダです。
ずっと後ろのほうでトラックの上の屋根に乗って双眼鏡で見ていた人が、雨で足がすべって落っこちてケガをした。その人はドロンコで血まみれになって医者のところへ行って、ドロンコで血まみれのまま包帯を巻いてもらって、タダでやってもらったって大喜びで帰っていきましたよ。
なにしろパトカーの屋根まで見物人が乗っちゃってるんだから。。。。
テントや寝袋を持って来てる人はまだいいけど、何も持たない人は地べたにそのまま寝ちゃったりする。車があると誰の車だろうがお構いなしにその下にもぐりこんで寝てます。
LSDなんてずいぶんやってましたね。
警察も手に負えなくなって、もうほったらかしにしてました。「死んだって知らねぇぞ」なんちゃってね。もう公然とハシシやLSDを売ってる人がいるんです。ハシシが5ドル。でもハシシもマリファナもニセモノが多く吸っても全然効かない、なんて言ってる人もいました。マリファナをタダでやろうという人もいたけど、雨で濡れたからダメかもしれないよなんて言うからもらわなかった。ニセモノを吸って死んだ人もいるとかいうハナシでヤバくってね。
それから大抵の人が男の子と女の子でカップルになっちゃってた。ぼくんとこに来た女の子もいたけど、なにしろヒッピーの女なんて一週間も風呂に入ってないから、臭くてかなわないんで逃げ出しました。
フェスティバルが開かれたウッドストックというのがどんなところかもう少しお話しましょう。
会場に使われたのは、人里離れた牧場だか農場だかとにかくすごい田舎です。そばに牛もいました。夜になるとデッカい蚊がどんどん飛んできます。水を汲もうと思ったら、山を二つ越えたところにある農家までもらいに行かなきゃならないんです。
夜は冷えるのでみんな火を燃やして当たってます。寝袋を持ってるのはよっぽど用意のいい奴で、地べたにボール紙などを敷いてその上に寝てる人のほうが多かったですね。
でも会場に入れた40万の人はいいほうかもしれません。遅く来た人は会場に入れなくて、道がギッシリつまったために引き返す事も不可能だし、とうとう道路にテントを張ってそこで三日三晩暮らしてそのまま帰っちゃった人もたくさんいるわけです。来た人の3分の2入れなかったというくらいで、結局ハイウェイに80万人の人が三日間立往生したってことですね。
そんなぐあいで、まったく交通がストップしてしまったので、出演者も楽器やアンプや食糧なんかもみんなヘリコプターで運んだ訳です。とにかく道路の上はずっと人、人、人。。。という状態です。
そうそう、その道路で赤ん坊が生まれたそうですね。会場の中でもひとり。合計二人生まれたらしいです。それから死者も二人。プラスマイナスゼロというわけ。
3日のフェスティバルが終わっても交通がそんなんだからなかなか帰れない。大勢の人があと何日かとじこめられたままになったらしいですけど、だいたいすぐ帰ろうなんて気もないんですよ。中にはここは気に入ったからあと一週間ぐらい住んでようなんて言ってるのもいましたから。泥んこのままでね。
でもとにかくみんな音楽のすごく好きな連中ばかりです。ギターも持って来てる奴も多く、ステージがやってない間は自分達でブルースなんか弾いてました。
ステージで音楽をやってるときはみんなとても熱心に聞いてます。一曲終わるとすごい拍手なんです。ステージの上で出演者が何か話してると、遥か後ろのほうまでみんなでステージと受け答えなんかしてます。音楽が鳴りだすとみんなリズムに乗っちゃって、体を細かく動かしてるんですね。
とにかく40万人が全員乗っちゃってユサユサと動いてるって感じ。そりゃすごいもんですよ。
SACHIHO女史のたおやかなハウスグルーヴも信念の強さを感じましたし、なによりタカヤのセットが素晴らしかった!また今回も今まで聞いた事ないカンジで、ここまでくるともう末恐ろしささえ感じますね。彼は今週土曜に浜松、そして23日には仙台でもプレイするので、お近くの方は是非!
さて先日掲載して各地で好評を頂いたウッドストックレポの後編です。詳細は現在の野外パーティーとあまり変わらない気がしますが、やはりそれが40万人のそれと想像するとちょっとものスゴすぎますね。 しかも40年前ですからね。そもそも今の野外パーティーの礎となったウッドストック。映画も是非見てみてください。
では!
1969年10月号
ぼくも40万人のひとりだった
ウッドストック音楽祭に参加して
成毛滋
そんな調子ですからこれはもう音楽会というよりは、ほんとうにもうお祭りなんです。バカ騒ぎですね。
集まった連中は大体十五、六から二十二くらいの年齢かな。みんなヒゲはやしたり髪を長く伸ばしたりしてるから歳なんかわかんない。
黒人もいましたけどニューヨークなんかと違って差別とか偏見とはか全然ないです。
みんなすごく親しくなっちゃって、パンでも水でもなくなると隣にいる人が分けてくれます。頼まなくてもボクの瓶が空になってるのを見ると、水をやろうかといって自分のを半分くれるんです。もちろん全然知らない人です。ただ隣に座ってるというだけで。。。一口かじったパンを回してまた一口食べると隣の人に回したり、水も回し飲みしたり。。。。そういうのは黒人でも日本人でもまったく同じです。大きな瓶に入った水を知らない人で回し飲みするのは気持ちよくないですけど彼らはみんな平気ですね。
予想を遥かに超えてすごく大勢の人が集まっちゃったもんだから、パンなんかたちまち売り切れです。それでヘリコプターで何度もホットドッグを運んでました。ホットドッグを売り始めるとすぐに長い行列ができる。なにしろ食いもんはホットドッグとコーラくらいしかないんですから。。。それで行列してさんざん待たされて結局売り切れて買えなかったりするんですが、別に文句も言いませんね。行列作って二時間でも三時間も待つのなんかみんな平気です。
それからトイレですけど、組み立て式みたいな公衆便所を大きなトラックで運んで来るんです。地面に穴を掘ってその上に小屋を乗っけるような式の。。。それが汚くなるとつぶしちゃってまた新しいのをもってきます。そのトラックの上に乗せた便所の上にも大勢のヒッピーが乗っかって来ちゃうんです。
医者なんかも全部タダです。
ずっと後ろのほうでトラックの上の屋根に乗って双眼鏡で見ていた人が、雨で足がすべって落っこちてケガをした。その人はドロンコで血まみれになって医者のところへ行って、ドロンコで血まみれのまま包帯を巻いてもらって、タダでやってもらったって大喜びで帰っていきましたよ。
なにしろパトカーの屋根まで見物人が乗っちゃってるんだから。。。。
テントや寝袋を持って来てる人はまだいいけど、何も持たない人は地べたにそのまま寝ちゃったりする。車があると誰の車だろうがお構いなしにその下にもぐりこんで寝てます。
LSDなんてずいぶんやってましたね。
警察も手に負えなくなって、もうほったらかしにしてました。「死んだって知らねぇぞ」なんちゃってね。もう公然とハシシやLSDを売ってる人がいるんです。ハシシが5ドル。でもハシシもマリファナもニセモノが多く吸っても全然効かない、なんて言ってる人もいました。マリファナをタダでやろうという人もいたけど、雨で濡れたからダメかもしれないよなんて言うからもらわなかった。ニセモノを吸って死んだ人もいるとかいうハナシでヤバくってね。
それから大抵の人が男の子と女の子でカップルになっちゃってた。ぼくんとこに来た女の子もいたけど、なにしろヒッピーの女なんて一週間も風呂に入ってないから、臭くてかなわないんで逃げ出しました。
フェスティバルが開かれたウッドストックというのがどんなところかもう少しお話しましょう。
会場に使われたのは、人里離れた牧場だか農場だかとにかくすごい田舎です。そばに牛もいました。夜になるとデッカい蚊がどんどん飛んできます。水を汲もうと思ったら、山を二つ越えたところにある農家までもらいに行かなきゃならないんです。
夜は冷えるのでみんな火を燃やして当たってます。寝袋を持ってるのはよっぽど用意のいい奴で、地べたにボール紙などを敷いてその上に寝てる人のほうが多かったですね。
でも会場に入れた40万の人はいいほうかもしれません。遅く来た人は会場に入れなくて、道がギッシリつまったために引き返す事も不可能だし、とうとう道路にテントを張ってそこで三日三晩暮らしてそのまま帰っちゃった人もたくさんいるわけです。来た人の3分の2入れなかったというくらいで、結局ハイウェイに80万人の人が三日間立往生したってことですね。
そんなぐあいで、まったく交通がストップしてしまったので、出演者も楽器やアンプや食糧なんかもみんなヘリコプターで運んだ訳です。とにかく道路の上はずっと人、人、人。。。という状態です。
そうそう、その道路で赤ん坊が生まれたそうですね。会場の中でもひとり。合計二人生まれたらしいです。それから死者も二人。プラスマイナスゼロというわけ。
3日のフェスティバルが終わっても交通がそんなんだからなかなか帰れない。大勢の人があと何日かとじこめられたままになったらしいですけど、だいたいすぐ帰ろうなんて気もないんですよ。中にはここは気に入ったからあと一週間ぐらい住んでようなんて言ってるのもいましたから。泥んこのままでね。
でもとにかくみんな音楽のすごく好きな連中ばかりです。ギターも持って来てる奴も多く、ステージがやってない間は自分達でブルースなんか弾いてました。
ステージで音楽をやってるときはみんなとても熱心に聞いてます。一曲終わるとすごい拍手なんです。ステージの上で出演者が何か話してると、遥か後ろのほうまでみんなでステージと受け答えなんかしてます。音楽が鳴りだすとみんなリズムに乗っちゃって、体を細かく動かしてるんですね。
とにかく40万人が全員乗っちゃってユサユサと動いてるって感じ。そりゃすごいもんですよ。
2011/08/11
SPREAD THE PARTY
えーここ数日の激暑のおかげですっかり夏気分を取り戻しましたが、いよいよ今週末にせまった2001 summer's anthem SPREADのお知らせを!
前回は落合SOUPの協力のもとかな〜り濃厚な初出張プレイでしたが、今回は再びホームbonoboに再上陸しての開催であります。
そしてゲストもヒサビサにお二方を迎えます。
まずはナガセタカヤさん。
彼とは自分がロンドンから帰国してすぐくらいに出会っているのでもう長いのですが、何しろ彼ったらその後しばらくしてすぐニュ〜ヨ〜クに旅立ち現在に至ります。
以前からいろいろな機会で書き散らかしているのですが、DJというのはやはり完全に才能の世界であります。自分でも認めたくない部分もありますが、いくらレコードを持ってようがパーティーエキスペリエンス(以下PE)が多かろうが骨を折ろうが、いいDJかどうかと言うのはまた違う次元の話であります。
考えすぎてもダメだし考えなくてもダメだし、技術は必要だけどテクニックだけじゃ踊らせられないし。ホンットにえらい世界に足を踏み入れてしまったなあと最近若干の後悔も感じてしまう程です。
ではいいDJとはなんぞや?というと答えは単純で、老若男女をロックできるかどうか。それに尽きると思います。そして佇まい。要するに安心して委ねられるかどうか。後は音楽を聴いて踊るという人間の有史以来の単純な日常活動を、どれだけ非日常に転化できるか、ようするにトランスっちゅーことかもしれませんが、そいつを可能にできるかというのがやはりDJとしての才能だと思います。
自分の身の回りにも若干ながらその域のDJがいますが、タカヤは間違いなくその一人であります。昨年彼が帰国した際にはノリで浜松、豊橋、そして横浜ともうおっかけ状態で彼のプレイを体感しましたが、すべてが異なる印象ですばらしかった。こんな人はなかなかいないのではないでしょうか。
最近ではLOFTクルーとも親しくしていて、ということはすなわち世界最高峰のラヴ☆サイケデリコパーティーに携わっているっつーことですからそれもまた納得と言いたい所ですが!先ほども述べた通り、PE の数イコールDJのスキルでは決してないので、やはりタカヤがスゲー!ということになっちゃいますね。確かにニュ〜ヨ〜クに行く前から彼のDJは素晴らしかったもんな〜。。
そしてもう一人のゲストのSACHIHO女史。
彼女とは知り合ってそう長くはないですが、まあいいDJかどうかは一回会って聞けばわかりますもんね。彼女は例えるなら"B2の魔女"。すなわちレコードのB面2曲目に収録されてそうな激シブチュ〜ンを丹念に紡ぎそれをグル〜ヴへと昇華させるセンスと音楽愛に満ちた方であります。何しろ同世代なんでそのあたりの曲の話題になるといつもキャピってしまう愛らしい関係であります。
さあ!もう楽しみになってきましたね!
今年の夏の心のベストテンを決めにきてくださいね^^
SPREAD vol.10
"2011 SUMME RPM"
2011/08/13 (SAT)
with
TAKAYA NAGASE (SOUNDMEN ON WAX / NY)
SACHIHO (RELEASE IT! / S)
&
KEI (MIST the party / DL)
yosh de perm (SPREAD / TRIP)
2011/08/13 (SAT)
with
TAKAYA NAGASE (SOUNDMEN ON WAX / NY)
SACHIHO (RELEASE IT! / S)
&
KEI (MIST the party / DL)
yosh de perm (SPREAD / TRIP)
venue : bonobo/渋谷区神宮前2-23-4
open : 22:00
No entrance fee
"PLAY IT LOUD"
No entrance fee
"PLAY IT LOUD"
2011/08/09
SPREAD THE SPIRITS
ジョー山中さんが亡くなりました。
Amy Winehouseに続き偉大なロッカーの相次ぐ死。
一時期日本のニューロックをちょいちょい追っかけていて、その時に出会ったのが彼が所属していたFlower Travellin' Bandでした。
ファーストアルバム ANYWHERE
デビューアルバムでいきなり当時リリースされたばかりのBLACK SABBATHやKING KRIMZONをカバーするという驚愕のセンスにヤラれてしまい、次のSATORIではそれまで欧米との比較が基準だった日本のロックシーンで、国籍を超越したしなやかな激情を見事に表現しきり国内外で大きな評価を受けました。この二枚は今聞いてもまったく古びておらず、それどころかその当時の日本の状況(40年前!)を考えるとさらにその輝きが増して来る気がします。
セカンドアルバム SATORI
実は自分は3年くらい前に一度だけジョーさんとお話ししたことがありました。友達が仲良しで紹介してくれて、「フラワーズ最高です!なんか今スゴい盛り上がってますよね!」と言ったら、「30年かかったよ。」と言っていたのが今でも強く心に残っています。
2年前に再結成をして、さあこれからというタイミングでの今回の訃報。
偉大な先輩の功績は永遠に不滅です。合掌。
P.S.こんなフライヤーを作ったことも思い出しました。。。。。
2011/08/03
SPREAD WORDS
先日音楽評論家の中村とうよう氏が亡くなりました。
お住まいが立川だったということで感慨深いのですが、先日彼が手がけていたMUSIC MAGAZINEのスペシャルエディション1を入手しました。これは1969〜1974年までのMUSIC MAGAZINEN掲載された記事をまとめたものなのですが、その巻頭があのウッドストックのおそらく日本人で唯一体験した成毛滋氏によるレポートでした。
とても興味深い内容だったので紹介します。
1969年10月号
ぼくも40万人のひとりだった
ウッドストック音楽祭に参加して
成毛滋
ウッドストックというのはニューヨーク州のベースルという街にあって、ニューヨーク市からハドソン河ぞいに北に約九十マイルの距離です。
はじめサンフランシスコでチラシを見てぜひ行きたいと思ったんですが、交通機関が何もないというのでどうしようかと思いました。その後、ロスでもニューヨークでも、至る所にチラシが置いてあったり、ビラが貼ってあるのが目に入るし、ラジオでも毎日のようにスポットを流してすごい宣伝なんです。
ニューヨークで会った若い連中は、みんなオレも行く、オレも行くって言ってる。こりゃすごいらしいぞってことが、だんだんわかってきました。
結局、ヒッチハイクでしか手がないわけです。ぼくもウッドストックに行くのはどうやって行っていいのか、いろんな人に聞いて回ってたら、たまたまある洋服屋のオジサンが、オレも行くから手伝うんなら一緒に連れてってやるというのを見つけて、アルバイトをかねて行く事にしたんです。
そのオジサンは、夜は僕たちと一緒にそのトラックの下に、地べたにボール紙を敷いて毛布をかぶって野宿です。ほんとにそのオジサンも楽しんじゃってるんです。なにしろ寝る所なんて全然ないんですからね。
その会場に着くまでの道も大変です。ニューヨークから三時間半ぐらいのところなんですが、道が混んでノロノロ運転。「ウッドストックに行こう」なんて横腹に描いた車いっぱいいて、それでもイライラしてケンカするどころかみんなすぐ仲良くなっちゃって、Vサインを出し合って、中には横に止まってる車の窓から手を伸ばしてジュースなんかくれた人もいましたよ。
Vサインですか?あの人差し指と中指を立てるやつですね。もともと「ビクトリー」(勝利)の意味ですけど、いまはヒッピーたちの連帯の意思表示に使われていて、知らない人同士、道ですれ違ってもVサインを見せ合えば親密になれるわけです。音楽会でもお客さんと演奏者がVサインを出し合ってます。
ぼくたちが出発したのが音楽会の始まる前日、つまり十四日の木曜日の夜。七時か八時ごろだったかな。その晩会場の少し手のバンガローのある所まで着いて、そこで一泊しました。そして十五日の朝、会場に向かったんですが、たった三マイルのところを一時間以上かかりました。
会場に集まってくるヒッピー達はほとんどが歩いてくるんです。ハダシでヨレヨレになって。毛布とか荷物なんかかついだりしてね。車が来ると、その上に何十人も乗っかって屋根の上まであがっちゃって、ヒッチハイクっていってもすごいんですね。
会場のすぐそばまで来ると、水溜まりがあるんです。池とか湖っていうよりも泥沼ですね。ヒッピーたちは何マイルも汗みどろになって歩いて来るもんだから、沼まで来ると、「ワンダフル!」ってんで服なんか着たまま飛び込んじゃうんです。しばらく泳いでからまた出てきて、ズブ濡れのまんま歩き出す。全裸で沼に入った人もいました。
何しろ昼間はすごく暑いんです。
そこを過ぎてちょっと行くと会場なんですけど、入り口は車でいっぱい。入れません。係の人が整理してるけどとてもさばききれなくて、ほとんどの人が払わずに入っちゃった。入場料は一人一日七ドルなんですけどね。
一応柵がありますけどみんな乗り越えて入っちゃう。主催者側ももうサジを投げたかっこうです。なにしろ始めの予定ではせいぜい五〜六万人程度だろうと思っていたのに、一日目だけで二十五万人も来ちゃったんだから。。。
そこから中に入ると、もうひとつの国みたいな感じですね。
僕たちは十五日のお昼頃に会場に入ったんですが、もういっぱいの人です。ステージをまだ作ってるうちからそのまわりを取り巻いてるんです。ステージが見えるようなところまでは全然近寄れそうにないんで、会場の脇で店を広げました。僕たちの洋服屋のほかに、ホットドッグ屋、コカコーラ屋、アイスクリーム屋、アクセサリーとか指輪、ペンダントなんかの店、いろいろ出てました。洋服はよく売れましたね。何でも二ドルの大バーゲンセールですからね。
十五日は四時ごろから始まったんですが、ステージは全然見えません。スピーカーがそこらじゅうにあるので音はよく聞こえましたけど。。。
この日の出演者は、ジョーンバエズ、アーロガスリー、ティムハーディン、リッチーへヴンスなど、フォーク系が多かった。夕方六時ごろだったか、ラヴィシャンカールのシタールの演奏の途中で雨が降りだしましてね。すごいドシャ振りなんです。もちろん雨宿りするところなんで全然ないんですけどみんな平気でそのまま濡れてます。シャンカールは途中でやめちゃうんじゃないかと思ったけどすごく乗っちゃって、やっぱりビショ濡れになったままで延々と弾きつづけましたよ。
演奏は午後四時から午前四時まで十二時間ぶっつづけです。雨のほうも朝まで降り続けました。下が赤土だもんでそれが泥んこになっちゃってすごいんです。みんなそこに座り込んだまま平気ですね。そのときはいてたズボンが泥んこになって選択しても落ちないんです。
夜はステージだけすごいスポットライトで照らしてました。あとはもちろん電灯なんかありません。まっ暗です。懐中電灯かマッチの火ぐらいですかね。でもどういうわけだか、同じ懐中電灯をみんな持ってましたよ。そしてステージのほうで、何か言いながら懐中電灯を上にあげたりするとみんな上にあげるんです。
二日目の十六日、土曜日は午後一時からで、ジャニスジョプリン、ジェファーソンエアプレイン、キャンドヒート、クリーデンスクリアウォーターリバイバル、マウンテン、サンターナ、ザ・フーなど。そして最終日の十七日、日曜日は、ジェフベックグループ、ブラッドスウェットアンドティアーズ、クロスビースティルスアンドナッシュ、テンイヤーズアフター、ジョニーウインター、ザ・バンド、ジミヘンドリクスなんかがプログラムにあがってました。
実はぼくは日本に帰る飛行機の関係があってゆっくりしてられなかったんです。というのはあんまり大勢の人が次から次へと会場につめかけるんで、警察が道路を封鎖しちゃうっていう話を聞いたんですよね。そうなるといつここから出られるかわからなくなってしまう。そうなると困るんで十六日の午後、ニューヨークの方へ帰る車があるということなのでそれに便乗して、そのうえ六マイルも歩いてやっと帰れたんです。三日目をすごく楽しみにしてたのにほんとに残念だったんですけど、そういうわけで二日目の途中までしか聞けませんでした。
帰る時ステージのそばを通ったら、クリーデンスらしいのがやってました。
出演予定者は大体予定どおり出たらしいんですが、ジミヘンが出たという話は聞きませんでしたよ。
ステージのわきを通ったとき見たら、ステージの上にもすごくスピーカーが並んでた。それから関係なさそうなのが、ステージの上をウロチョロしてたり。。。ステージのすぐ横に全裸の男がひとり、前を向いてボサーっと立っていてまる見えなんだけど、みんな全然気にしてなかったな。男も女も、すっ裸の人はかなりいたけどみんな平気ですね。
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